月
05
7月
2010
持方集落に残る地域コミュニティー<共同がある暮らし>
少し前のお話ですが。
6月初旬、茨城県の常陸太田市持方地区で行われた『すいふ恵海(めぐみ)の森づくり活動』に参加してきました。
男体山の麓で森作り(下草刈り作業)を行うボランティア活動です。
午前9時から本当にたくさんの方々が集まり、各々手に大鎌や機材をもって山に入っていきました。
新緑の緑と空の青さが見事で、とっても気持ちの良い晴天でした。
昼食はたくさんの炊き出しが用意され、作業で疲れたからだを少し休めて皆談笑!!
その姿は、本当に仲の良い巨大な家族のようです。
集落の人たちが一丸となって共同作業を行なう姿は、最近ではほとんど見られなくなった『日本独自、古来からのコミュニティ-』を彷彿とさせ、この一体感こそが今の地域沈静化を救うキーワードなのだと、改めて考えさせられました。
フォトギャラリーを利用するにはFlashのバージョン 9.0.28以上が必要です!
最新の FlashPlayer をインストールしてください。
<持方集落の概要>
茨城県立自然公園の中に位置し、竜神川の源をなすこの持方集落は、西方には男体山(654m)を望む緑豊かなところです。
集落の起源は徳川初代の頃ともいわれ、ここには約400年に及ぶ集落の歴史があります。往時は木炭生産やしいたけ栽培、特にこんにゃく栽培では生玉や荒粉の販売が昭和40年前半までの大きな収入源だったようです。
終戦後は和牛の飼育生産を開始し、昭和38年には持方牧野組合も設立(17戸参加)しました。国有林を借地して草地造成した放牧地は18haあったようです。
現在は担い手の高齢化や農外収入による生活変化によって、和牛の飼育生産も8戸(親牛34頭)に減少しました。
<地域活動1―明るい里山を目指して―>
そうした中、『明るい里山集落にしよう!』と有志が集まり、新たな森づくり事業を開始しました。
借地の国有林は一部(7ha)を国に返還し、これまで広葉樹や季節ごとに花を楽しめる樹木を植林活動を行っています。
山桜系はすでに約1000本の植樹を行っています。
<地域活動2―受け継がれる共同作業ー>
和牛飼育の堆肥を農地に還元する循環型農業を続ける一方で、新しい商品開発も推進しています。
特に以前から定評のある『持方こんにゃく』は、平成16年より自然薯と合わせた新商品を開発し、婦人部の方々が加工所も建設して元気に製作販売を続けています。
また『白爵かぼちゃ』も高い評価を受けて、平成17年より水府振興公社と提携した生産活動を続けています。
火
29
6月
2010
鎌倉河岸のもう一つの顔
最近、NHKドラマの舞台ともなり話題にのぼっている『鎌倉河岸』。
そこがどんな場所だったのか、皆さんはご存知ですか。
江戸期『鎌倉河岸』と呼ばれていた場所は、現在の東京千代田区内神田1丁目6番地~2丁目2・3番地付近に位置します。
現在は往時の面影などまるでなく、わずかに「鎌倉橋」の名前や歴史説明版などがあるだけで、その歴史性を気にして通る人も少ないようです。説明板にも「徳川家康が江戸城築城の際にその建材として材木や石材を荷揚げしたことから『鎌倉河岸』という名がついた」との説明があるのみです。
実は私どもが『鎌倉河岸』の町名とそこに住む人々に出会ったのは、まったくの偶然からで、従来伝え聞いていた『鎌倉河岸』の様子とは異なる史実にたいへん興味を持ったことに始まります。
平成20年頃から、茨城県内に所在する「国史跡水戸徳川家墓所」の史跡文化財の価値とその保存管理について地方自治体から依頼され、計画書を策定しておりました。
そして、たまたま江戸時代(19世紀初頭、文化・文政の頃)藩の普請方の記録から、墓石注文書の文書を発見し、この『鎌倉河岸』の職人宗右衛門に出会うことになったのです。
現在は非公開である水戸徳川家の歴代墓石を直接見たとき、その墓石の加工から刻印、印字の見事さ、彫りの硬さなど、今はもう受け継がれていないものに強烈な感動を受けました。
問題は、誰がこのような見事な仕事をなし得たのかということです。
高さ3mにも満たない墓石であっても、その石材の切出し、加工から刻印や彫りまで、相当の人数が必要だったことは明らかで、とうてい地元で賄える集団では成り立ちません。
先述の記録によると、石材の切出しや墓所基壇石垣の築造なども別途依頼しているようですが、驚くことに墓石の加工に七千人工もの職人を要したと記されており、その職人には石工はもとより手元職人、鍛冶職人なども含まれていたと思われます。
また、「職人一日米一升、手元米五合」を手配したとも記録されていることからも、その人数は確かです。
『鎌倉河岸』に戻りますが、驚くことは往時それだけの職人の手配ができる街が存在し、職人の集団として公に認められる河岸であり、かつ「職人」の社会的地位として「米一升」を手配されるほど社会に認められていたということです。
この史実は、現在にはない職人たちの地位と信頼、それを保護する社会の仕組みとが窺いしれる貴重な記録だと思われます。
木
24
6月
2010
民間と中央省庁との距離は近づくのか
今日は少し長文です。
昨日、文化資源を生かしたまちづくり支援を行っているNPO法人の方々をお会いしました。
2人の女性理事は、とても気さくで、ご専門が考古学であることもあってか、非常に穏やかな印象を受けました。
NPO活動の一部として、西東京の私立中学校で支援・サポートされている『縄文時代の食体験』『土器づくり』などの体験活動は、子供たちの好奇心をくすぐり、今年で11回目を迎えるのだとか。
そんな方々とお話するうち、『歴史まちづくり法』や農水省等国省庁との対話の話に発展し、改めて民間活動家と国省庁との距離感を感じました。
私たちは、中央官僚の方々は常に紳士的であり、我々の質疑・相談にも真摯に回答してくださる印象があります。
(逆に、地方自治体の窓口対応には常に不満を持つのですが。)
何か活動しようと思う時、まずは中央の方々の意見を参考にします。彼らが何を考え、どういう趣旨を持って提言や法案を理解しているのか。その意図を共有した上で、自分たちのやろうとすることにどう活かせるのかを模索します。
昨日のNPOの方々との会話で、「自分たちの活動とはまったく縁のない世界だと思っていました」との一言に、現在の中央省庁と民間との途方もない距離を強く感じました。
その要因の一つに、私は少なからず地方自治体の問題が絡んでいると思います。
地元で何かをしようとするとき、どうしても地元行政との協同がうまくいかないことが多い。その利用は様々ですが、個人的対応なのか、組織的対応なのか、お任せ主義なケースがあまりに多すぎます。民間人は「地方行政でそうなのだから、まして中央省庁など自分たちの相手はしてはくれまい!!」と、当然萎縮してしまいます。
しかし、実際には地方行政の担当者も中央省庁に事業の協議に行くことは少なく、正直なところ、陳情や報告程度でしか訪庁したことのない方も少なくありません。
こうした現状を受けてか、昨今の中央省庁の動きには益々、民間への直接支援(地方行政をはさまず)の方向性が強くなってきています。
この流れに乗って、ぜひ一度中央省庁との対話の機会を持ってみてはいかがでしょうか。(直し、陳情ではなく協議としての会話です。要注意!) 久
水
23
6月
2010
地域振興ネットワークに参加します!
一昨日(6月21日)、小石川後楽園内の「涵徳亭」で行われた『地域振興ネットワーク』の6月例会に参加してきました。
この会は、観光物産界で長年活動されている稲田俊明氏を始め、様々な分野で活動されている方々が集まり、『地域を元気にする!』ためのネットワークをつくり、多様なまちづくりの課題に対応できる専門家集団を全国網で構築することを目標に掲げた会です。
(詳細は http://blog.qlep.com/blog.php/kankoubussanに地域振興ネットワークの事務局ブログが掲載されていますので、ご参照ください。)
私たちの活動も、今後いかにネットワークの縦横軸を広げられるかがポイントになってきます。一人でも多くの方々と知り合い、同じ志を持った活動を継続していければいいなと思います。 久
金
18
6月
2010
山菜たけのこ-根曲がりたけ-
0 コメント月
14
6月
2010
『歴史めぐり会』を開催します!!
このたび、都内に残る石垣をめぐりながら、日本における石垣築城の歴史や特異な石垣構造について、実際に国史跡の保存整備等事業に30年以上携わってきた案内人(専門スタッフ)が、分りやすく解説する『下町歴史めぐりの会』を開催します。
江戸期石工職人の暮らし方など歴史書には載っていない事柄も、専門書(古文書)など読み下しの解説と共に、現地にて直接御話します。ぜひご参加ください。
詳細は㈱M&W企画オフィスのHPアドレスwww.mw-kikaku.comもしくはお電話にて直接お問い合わせください。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
『下町歴史めぐりの会』―江戸時代の石工職人の痕跡を求めて―
A.江戸城(皇居)石垣コース
:集合場所 皇居正面、参加費3千円
B.日本橋石垣コース
:集合場所 日本橋たもと、参加費3千円
※ どちらのコースも1~2時間程度のウォーキングコースとなります。
※ 現地にて簡単な史料解説とともに、実際の石垣と比べながらの説明案内となりますので、歩きなれた靴、服装でご参加ください。
※ 催行:随時、2名さまより
※ 締切り:参加希望日の2日前までにご連絡ください。
※ 天候:荒天時には当日キャンセル可能です。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
水
26
5月
2010
東京都の改革「東京モデル事業」
0 コメント水
19
5月
2010
歴史まちづくり法について
「歴史まちづくり法(歴史的風致維持向上計画)」について
いま、国省庁(文化庁・国交省・農水省)が連携し、歴史的風土や自然景観(里山や棚田など含む)を総体的に取り込む地域づくり・歴史まちづくりが活発化しています。
すでに「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(歴史まちづくり法)が平成20年に施行されておりますが、今年は各省庁が事業モデル化を遂行しており、全国の地方行政は勉強会や事業認定に必要な「歴史的風致維持向上計画」の作成に取り組んでいるようです。
これまで、各省庁が独自の指導範囲の中で進めてきた地域づくり・まちづくりですが、ようやく地方都市がその特徴と魅力を継承していくためのベースが整いつつあります。今後の各省庁の動きを把握するとともに、実際の事業推進への計画づくりに関わっていく予定です。 久
<国交省歴史まちづくり法の概要パンフレット>http://www.mlit.go.jp/crd/rekimachi/rekimachi_law/pdf/rekimachi_law_panhu.pdf
火
11
5月
2010
「春日山城跡導入広場」整備イメージ・ジオラマ案を作成しました!
0 コメント月
05
7月
2010
持方集落に残る地域コミュニティー<共同がある暮らし>
少し前のお話ですが。
6月初旬、茨城県の常陸太田市持方地区で行われた『すいふ恵海(めぐみ)の森づくり活動』に参加してきました。
男体山の麓で森作り(下草刈り作業)を行うボランティア活動です。
午前9時から本当にたくさんの方々が集まり、各々手に大鎌や機材をもって山に入っていきました。
新緑の緑と空の青さが見事で、とっても気持ちの良い晴天でした。
昼食はたくさんの炊き出しが用意され、作業で疲れたからだを少し休めて皆談笑!!
その姿は、本当に仲の良い巨大な家族のようです。
集落の人たちが一丸となって共同作業を行なう姿は、最近ではほとんど見られなくなった『日本独自、古来からのコミュニティ-』を彷彿とさせ、この一体感こそが今の地域沈静化を救うキーワードなのだと、改めて考えさせられました。
フォトギャラリーを利用するにはFlashのバージョン 9.0.28以上が必要です!
最新の FlashPlayer をインストールしてください。
<持方集落の概要>
茨城県立自然公園の中に位置し、竜神川の源をなすこの持方集落は、西方には男体山(654m)を望む緑豊かなところです。
集落の起源は徳川初代の頃ともいわれ、ここには約400年に及ぶ集落の歴史があります。往時は木炭生産やしいたけ栽培、特にこんにゃく栽培では生玉や荒粉の販売が昭和40年前半までの大きな収入源だったようです。
終戦後は和牛の飼育生産を開始し、昭和38年には持方牧野組合も設立(17戸参加)しました。国有林を借地して草地造成した放牧地は18haあったようです。
現在は担い手の高齢化や農外収入による生活変化によって、和牛の飼育生産も8戸(親牛34頭)に減少しました。
<地域活動1―明るい里山を目指して―>
そうした中、『明るい里山集落にしよう!』と有志が集まり、新たな森づくり事業を開始しました。
借地の国有林は一部(7ha)を国に返還し、これまで広葉樹や季節ごとに花を楽しめる樹木を植林活動を行っています。
山桜系はすでに約1000本の植樹を行っています。
<地域活動2―受け継がれる共同作業ー>
和牛飼育の堆肥を農地に還元する循環型農業を続ける一方で、新しい商品開発も推進しています。
特に以前から定評のある『持方こんにゃく』は、平成16年より自然薯と合わせた新商品を開発し、婦人部の方々が加工所も建設して元気に製作販売を続けています。
また『白爵かぼちゃ』も高い評価を受けて、平成17年より水府振興公社と提携した生産活動を続けています。
火
29
6月
2010
鎌倉河岸のもう一つの顔
最近、NHKドラマの舞台ともなり話題にのぼっている『鎌倉河岸』。
そこがどんな場所だったのか、皆さんはご存知ですか。
江戸期『鎌倉河岸』と呼ばれていた場所は、現在の東京千代田区内神田1丁目6番地~2丁目2・3番地付近に位置します。
現在は往時の面影などまるでなく、わずかに「鎌倉橋」の名前や歴史説明版などがあるだけで、その歴史性を気にして通る人も少ないようです。説明板にも「徳川家康が江戸城築城の際にその建材として材木や石材を荷揚げしたことから『鎌倉河岸』という名がついた」との説明があるのみです。
実は私どもが『鎌倉河岸』の町名とそこに住む人々に出会ったのは、まったくの偶然からで、従来伝え聞いていた『鎌倉河岸』の様子とは異なる史実にたいへん興味を持ったことに始まります。
平成20年頃から、茨城県内に所在する「国史跡水戸徳川家墓所」の史跡文化財の価値とその保存管理について地方自治体から依頼され、計画書を策定しておりました。
そして、たまたま江戸時代(19世紀初頭、文化・文政の頃)藩の普請方の記録から、墓石注文書の文書を発見し、この『鎌倉河岸』の職人宗右衛門に出会うことになったのです。
現在は非公開である水戸徳川家の歴代墓石を直接見たとき、その墓石の加工から刻印、印字の見事さ、彫りの硬さなど、今はもう受け継がれていないものに強烈な感動を受けました。
問題は、誰がこのような見事な仕事をなし得たのかということです。
高さ3mにも満たない墓石であっても、その石材の切出し、加工から刻印や彫りまで、相当の人数が必要だったことは明らかで、とうてい地元で賄える集団では成り立ちません。
先述の記録によると、石材の切出しや墓所基壇石垣の築造なども別途依頼しているようですが、驚くことに墓石の加工に七千人工もの職人を要したと記されており、その職人には石工はもとより手元職人、鍛冶職人なども含まれていたと思われます。
また、「職人一日米一升、手元米五合」を手配したとも記録されていることからも、その人数は確かです。
『鎌倉河岸』に戻りますが、驚くことは往時それだけの職人の手配ができる街が存在し、職人の集団として公に認められる河岸であり、かつ「職人」の社会的地位として「米一升」を手配されるほど社会に認められていたということです。
この史実は、現在にはない職人たちの地位と信頼、それを保護する社会の仕組みとが窺いしれる貴重な記録だと思われます。
木
24
6月
2010
民間と中央省庁との距離は近づくのか
今日は少し長文です。
昨日、文化資源を生かしたまちづくり支援を行っているNPO法人の方々をお会いしました。
2人の女性理事は、とても気さくで、ご専門が考古学であることもあってか、非常に穏やかな印象を受けました。
NPO活動の一部として、西東京の私立中学校で支援・サポートされている『縄文時代の食体験』『土器づくり』などの体験活動は、子供たちの好奇心をくすぐり、今年で11回目を迎えるのだとか。
そんな方々とお話するうち、『歴史まちづくり法』や農水省等国省庁との対話の話に発展し、改めて民間活動家と国省庁との距離感を感じました。
私たちは、中央官僚の方々は常に紳士的であり、我々の質疑・相談にも真摯に回答してくださる印象があります。
(逆に、地方自治体の窓口対応には常に不満を持つのですが。)
何か活動しようと思う時、まずは中央の方々の意見を参考にします。彼らが何を考え、どういう趣旨を持って提言や法案を理解しているのか。その意図を共有した上で、自分たちのやろうとすることにどう活かせるのかを模索します。
昨日のNPOの方々との会話で、「自分たちの活動とはまったく縁のない世界だと思っていました」との一言に、現在の中央省庁と民間との途方もない距離を強く感じました。
その要因の一つに、私は少なからず地方自治体の問題が絡んでいると思います。
地元で何かをしようとするとき、どうしても地元行政との協同がうまくいかないことが多い。その利用は様々ですが、個人的対応なのか、組織的対応なのか、お任せ主義なケースがあまりに多すぎます。民間人は「地方行政でそうなのだから、まして中央省庁など自分たちの相手はしてはくれまい!!」と、当然萎縮してしまいます。
しかし、実際には地方行政の担当者も中央省庁に事業の協議に行くことは少なく、正直なところ、陳情や報告程度でしか訪庁したことのない方も少なくありません。
こうした現状を受けてか、昨今の中央省庁の動きには益々、民間への直接支援(地方行政をはさまず)の方向性が強くなってきています。
この流れに乗って、ぜひ一度中央省庁との対話の機会を持ってみてはいかがでしょうか。(直し、陳情ではなく協議としての会話です。要注意!) 久
水
23
6月
2010
地域振興ネットワークに参加します!
一昨日(6月21日)、小石川後楽園内の「涵徳亭」で行われた『地域振興ネットワーク』の6月例会に参加してきました。
この会は、観光物産界で長年活動されている稲田俊明氏を始め、様々な分野で活動されている方々が集まり、『地域を元気にする!』ためのネットワークをつくり、多様なまちづくりの課題に対応できる専門家集団を全国網で構築することを目標に掲げた会です。
(詳細は http://blog.qlep.com/blog.php/kankoubussanに地域振興ネットワークの事務局ブログが掲載されていますので、ご参照ください。)
私たちの活動も、今後いかにネットワークの縦横軸を広げられるかがポイントになってきます。一人でも多くの方々と知り合い、同じ志を持った活動を継続していければいいなと思います。 久
金
18
6月
2010
山菜たけのこ-根曲がりたけ-
今日、顧問から山菜たけのこ(根曲がりたけ)をたくさん頂きました。
さっそく社内で均等分配★
生で味見ができるほどにやわらかく、スーパーで見かけるたけのことはまったくの別物でした!
この山菜たけのこを山に取りに入るのはとっても大変らしく、男性が滝のように汗水流して、「ヒ~ヒ~」言いながら背中に重い山の幸を背負って山を登り降りしながら取ってくるそうです。
食べ方は焼いて剥いて、からし味噌など付けて頂いたり、味噌汁の具にしたりとのこと。きっと素敵な味わいが楽しめることでしょう。
でも、鮮度がとっても大切らしく、すぐに水分が飛んで硬くなってしまうのだとか。
何が何でも今日中に調理しなくては!!
月
05
7月
2010
持方集落に残る地域コミュニティー<共同がある暮らし>
少し前のお話ですが。
6月初旬、茨城県の常陸太田市持方地区で行われた『すいふ恵海(めぐみ)の森づくり活動』に参加してきました。
男体山の麓で森作り(下草刈り作業)を行うボランティア活動です。
午前9時から本当にたくさんの方々が集まり、各々手に大鎌や機材をもって山に入っていきました。
新緑の緑と空の青さが見事で、とっても気持ちの良い晴天でした。
昼食はたくさんの炊き出しが用意され、作業で疲れたからだを少し休めて皆談笑!!
その姿は、本当に仲の良い巨大な家族のようです。
集落の人たちが一丸となって共同作業を行なう姿は、最近ではほとんど見られなくなった『日本独自、古来からのコミュニティ-』を彷彿とさせ、この一体感こそが今の地域沈静化を救うキーワードなのだと、改めて考えさせられました。
フォトギャラリーを利用するにはFlashのバージョン 9.0.28以上が必要です!
最新の FlashPlayer をインストールしてください。
<持方集落の概要>
茨城県立自然公園の中に位置し、竜神川の源をなすこの持方集落は、西方には男体山(654m)を望む緑豊かなところです。
集落の起源は徳川初代の頃ともいわれ、ここには約400年に及ぶ集落の歴史があります。往時は木炭生産やしいたけ栽培、特にこんにゃく栽培では生玉や荒粉の販売が昭和40年前半までの大きな収入源だったようです。
終戦後は和牛の飼育生産を開始し、昭和38年には持方牧野組合も設立(17戸参加)しました。国有林を借地して草地造成した放牧地は18haあったようです。
現在は担い手の高齢化や農外収入による生活変化によって、和牛の飼育生産も8戸(親牛34頭)に減少しました。
<地域活動1―明るい里山を目指して―>
そうした中、『明るい里山集落にしよう!』と有志が集まり、新たな森づくり事業を開始しました。
借地の国有林は一部(7ha)を国に返還し、これまで広葉樹や季節ごとに花を楽しめる樹木を植林活動を行っています。
山桜系はすでに約1000本の植樹を行っています。
<地域活動2―受け継がれる共同作業ー>
和牛飼育の堆肥を農地に還元する循環型農業を続ける一方で、新しい商品開発も推進しています。
特に以前から定評のある『持方こんにゃく』は、平成16年より自然薯と合わせた新商品を開発し、婦人部の方々が加工所も建設して元気に製作販売を続けています。
また『白爵かぼちゃ』も高い評価を受けて、平成17年より水府振興公社と提携した生産活動を続けています。
火
29
6月
2010
鎌倉河岸のもう一つの顔
最近、NHKドラマの舞台ともなり話題にのぼっている『鎌倉河岸』。
そこがどんな場所だったのか、皆さんはご存知ですか。
江戸期『鎌倉河岸』と呼ばれていた場所は、現在の東京千代田区内神田1丁目6番地~2丁目2・3番地付近に位置します。
現在は往時の面影などまるでなく、わずかに「鎌倉橋」の名前や歴史説明版などがあるだけで、その歴史性を気にして通る人も少ないようです。説明板にも「徳川家康が江戸城築城の際にその建材として材木や石材を荷揚げしたことから『鎌倉河岸』という名がついた」との説明があるのみです。
実は私どもが『鎌倉河岸』の町名とそこに住む人々に出会ったのは、まったくの偶然からで、従来伝え聞いていた『鎌倉河岸』の様子とは異なる史実にたいへん興味を持ったことに始まります。
平成20年頃から、茨城県内に所在する「国史跡水戸徳川家墓所」の史跡文化財の価値とその保存管理について地方自治体から依頼され、計画書を策定しておりました。
そして、たまたま江戸時代(19世紀初頭、文化・文政の頃)藩の普請方の記録から、墓石注文書の文書を発見し、この『鎌倉河岸』の職人宗右衛門に出会うことになったのです。
現在は非公開である水戸徳川家の歴代墓石を直接見たとき、その墓石の加工から刻印、印字の見事さ、彫りの硬さなど、今はもう受け継がれていないものに強烈な感動を受けました。
問題は、誰がこのような見事な仕事をなし得たのかということです。
高さ3mにも満たない墓石であっても、その石材の切出し、加工から刻印や彫りまで、相当の人数が必要だったことは明らかで、とうてい地元で賄える集団では成り立ちません。
先述の記録によると、石材の切出しや墓所基壇石垣の築造なども別途依頼しているようですが、驚くことに墓石の加工に七千人工もの職人を要したと記されており、その職人には石工はもとより手元職人、鍛冶職人なども含まれていたと思われます。
また、「職人一日米一升、手元米五合」を手配したとも記録されていることからも、その人数は確かです。
『鎌倉河岸』に戻りますが、驚くことは往時それだけの職人の手配ができる街が存在し、職人の集団として公に認められる河岸であり、かつ「職人」の社会的地位として「米一升」を手配されるほど社会に認められていたということです。
この史実は、現在にはない職人たちの地位と信頼、それを保護する社会の仕組みとが窺いしれる貴重な記録だと思われます。
木
24
6月
2010
民間と中央省庁との距離は近づくのか
今日は少し長文です。
昨日、文化資源を生かしたまちづくり支援を行っているNPO法人の方々をお会いしました。
2人の女性理事は、とても気さくで、ご専門が考古学であることもあってか、非常に穏やかな印象を受けました。
NPO活動の一部として、西東京の私立中学校で支援・サポートされている『縄文時代の食体験』『土器づくり』などの体験活動は、子供たちの好奇心をくすぐり、今年で11回目を迎えるのだとか。
そんな方々とお話するうち、『歴史まちづくり法』や農水省等国省庁との対話の話に発展し、改めて民間活動家と国省庁との距離感を感じました。
私たちは、中央官僚の方々は常に紳士的であり、我々の質疑・相談にも真摯に回答してくださる印象があります。
(逆に、地方自治体の窓口対応には常に不満を持つのですが。)
何か活動しようと思う時、まずは中央の方々の意見を参考にします。彼らが何を考え、どういう趣旨を持って提言や法案を理解しているのか。その意図を共有した上で、自分たちのやろうとすることにどう活かせるのかを模索します。
昨日のNPOの方々との会話で、「自分たちの活動とはまったく縁のない世界だと思っていました」との一言に、現在の中央省庁と民間との途方もない距離を強く感じました。
その要因の一つに、私は少なからず地方自治体の問題が絡んでいると思います。
地元で何かをしようとするとき、どうしても地元行政との協同がうまくいかないことが多い。その利用は様々ですが、個人的対応なのか、組織的対応なのか、お任せ主義なケースがあまりに多すぎます。民間人は「地方行政でそうなのだから、まして中央省庁など自分たちの相手はしてはくれまい!!」と、当然萎縮してしまいます。
しかし、実際には地方行政の担当者も中央省庁に事業の協議に行くことは少なく、正直なところ、陳情や報告程度でしか訪庁したことのない方も少なくありません。
こうした現状を受けてか、昨今の中央省庁の動きには益々、民間への直接支援(地方行政をはさまず)の方向性が強くなってきています。
この流れに乗って、ぜひ一度中央省庁との対話の機会を持ってみてはいかがでしょうか。(直し、陳情ではなく協議としての会話です。要注意!) 久
水
23
6月
2010
地域振興ネットワークに参加します!
一昨日(6月21日)、小石川後楽園内の「涵徳亭」で行われた『地域振興ネットワーク』の6月例会に参加してきました。
この会は、観光物産界で長年活動されている稲田俊明氏を始め、様々な分野で活動されている方々が集まり、『地域を元気にする!』ためのネットワークをつくり、多様なまちづくりの課題に対応できる専門家集団を全国網で構築することを目標に掲げた会です。
(詳細は http://blog.qlep.com/blog.php/kankoubussanに地域振興ネットワークの事務局ブログが掲載されていますので、ご参照ください。)
私たちの活動も、今後いかにネットワークの縦横軸を広げられるかがポイントになってきます。一人でも多くの方々と知り合い、同じ志を持った活動を継続していければいいなと思います。 久
金
18
6月
2010
山菜たけのこ-根曲がりたけ-
今日、顧問から山菜たけのこ(根曲がりたけ)をたくさん頂きました。
さっそく社内で均等分配★
生で味見ができるほどにやわらかく、スーパーで見かけるたけのことはまったくの別物でした!
この山菜たけのこを山に取りに入るのはとっても大変らしく、男性が滝のように汗水流して、「ヒ~ヒ~」言いながら背中に重い山の幸を背負って山を登り降りしながら取ってくるそうです。
食べ方は焼いて剥いて、からし味噌など付けて頂いたり、味噌汁の具にしたりとのこと。きっと素敵な味わいが楽しめることでしょう。
でも、鮮度がとっても大切らしく、すぐに水分が飛んで硬くなってしまうのだとか。
何が何でも今日中に調理しなくては!!
月
14
6月
2010
『歴史めぐり会』を開催します!!
このたび、都内に残る石垣をめぐりながら、日本における石垣築城の歴史や特異な石垣構造について、実際に国史跡の保存整備等事業に30年以上携わってきた案内人(専門スタッフ)が、分りやすく解説する『下町歴史めぐりの会』を開催します。
江戸期石工職人の暮らし方など歴史書には載っていない事柄も、専門書(古文書)など読み下しの解説と共に、現地にて直接御話します。ぜひご参加ください。
詳細は㈱M&W企画オフィスのHPアドレスwww.mw-kikaku.comもしくはお電話にて直接お問い合わせください。
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『下町歴史めぐりの会』―江戸時代の石工職人の痕跡を求めて―
A.江戸城(皇居)石垣コース
:集合場所 皇居正面、参加費3千円
B.日本橋石垣コース
:集合場所 日本橋たもと、参加費3千円
※ どちらのコースも1~2時間程度のウォーキングコースとなります。
※ 現地にて簡単な史料解説とともに、実際の石垣と比べながらの説明案内となりますので、歩きなれた靴、服装でご参加ください。
※ 催行:随時、2名さまより
※ 締切り:参加希望日の2日前までにご連絡ください。
※ 天候:荒天時には当日キャンセル可能です。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
水
19
5月
2010
歴史まちづくり法について
「歴史まちづくり法(歴史的風致維持向上計画)」について
いま、国省庁(文化庁・国交省・農水省)が連携し、歴史的風土や自然景観(里山や棚田など含む)を総体的に取り込む地域づくり・歴史まちづくりが活発化しています。
すでに「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(歴史まちづくり法)が平成20年に施行されておりますが、今年は各省庁が事業モデル化を遂行しており、全国の地方行政は勉強会や事業認定に必要な「歴史的風致維持向上計画」の作成に取り組んでいるようです。
これまで、各省庁が独自の指導範囲の中で進めてきた地域づくり・まちづくりですが、ようやく地方都市がその特徴と魅力を継承していくためのベースが整いつつあります。今後の各省庁の動きを把握するとともに、実際の事業推進への計画づくりに関わっていく予定です。 久
<国交省歴史まちづくり法の概要パンフレット>http://www.mlit.go.jp/crd/rekimachi/rekimachi_law/pdf/rekimachi_law_panhu.pdf
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